フォーラム福岡

天神および博多駅の開発シナリオ天神写真

時代・環境とともに変化する福岡「都心」の役割と位置づけ

2005年12月29日発行の8号より

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ワンポイントビュー

九州内外における交通ネットワークの充実に経済交流圏は広がり、アジアとの関係も深まっている。その一方で、都市の中心部における企業集積の高まり、業務エリアの拡大、そして、人口の都心回帰は本格化している。このような時代と周辺環境の変動が、都心の役割と位置付けけさえも大きく塗り替えている。

変わる福岡の「都心」イメージ

「都心:大都市の中心部」(岩波書店・広辞苑第5版)と、通常意味づけられがちだが、現実社会では国語辞書的な解釈では通用しない。

都市の中核部を形成される都心は、生活する人々にとっては買い物の場、働く場、語らいの場であり、そして、都市での文化的な生活を享受する場でもある。昨今、注目される観光集客産業でも、都市のもつ魅力は楽しむことを目的に訪れる人々を受け入れる上でも重要なポイントになっている。

従来、福岡の都心といえば、天神地区とみなされることが多かった。事実、1960年代まで、ビジネス街や商業地は明治通り沿いや天神地区を中心に形成されてきた。1987年に策定した前回の「福岡都心構想」でも天神地区を主体にプランが練られていた。その後、福岡を取り巻く時代変遷や内外の環境変化とともに、福岡における「都心」というイメージがいま、大きく変わろうとしている。

従来の天神という「点」から天神―博多駅という「線」になりつつある。そして、天神、博多駅地区ともに、オフィス地区は周辺へ広がる傾向をしめす。事実、天神地区の北西部に隣接する長浜、舞鶴などでも従業者数は増加している。また、博多駅地区では、駅東でのオフィスビル供給数が増加しているのに加え、東比恵や住吉・美野島などの南東部へと伸びている。オフィスエリアは都市中心部の内外に広がりをみせている。

主要都市における従業員数の変遷

天神地区という「点」から天神地区―博多駅地区の「線」をなし、都市の中心部は次第に広がりをみせ、渡辺通り・春吉地区、中洲・川端・住吉・祇園地区、博多部地区を加えた1マイル(1・6キロ)四方の「面」が新しい都心のイメージになりつつある。

2005年11月に発表された「新・福岡都心構想」の中間報告では、天神地区、渡辺通・薬院地区、博多駅地区、中洲・川端・住吉・祗園地区、博多部地区などで構成されたエリアを想定している。この区域は、ちょうど西鉄が福岡市中心部に設定している百円バスの運行区域に相当する※。この区域で働く人は2002年で約33万人、福岡市内の全従業者81万人の実に4割強を占めている。

将来的には天神地区―博多駅地区―渡辺通・春吉地区―中洲・川端・住吉・祇園地区―博多部地区という「面」に、天神北地区と博多ふ頭・中央ふ頭地区を加えた、「都市中核エリア」へと拡大していくものと想定される。新・都心という従来の都心のイメージを脱した、都市中核エリア的な新しいイメージのもと、新しいまちづくりが、いま動き出そうとしている。※福岡駅、博多駅、薬院駅などでの発着の百円バス区域を除く。

30年間で都市圏人口100万人増

人口の推移

いわゆる都心が広がりをみせ、イメージと機能を変える要因となった時代変遷や内外の環境変化とは、どのようなものがあるのだろうか。

福岡市が政令指定都市に移行した72年当時の福岡市の人口は89万人だった。現在までの30年余りで約50万人増加している。一方、福岡都市圏全体に目を転じてみると100万人もの人口増加となっている。実に北九州市ひとつ分の人口が出現したことになる。

福岡市の人口と都心の人口の推移

福岡市および周辺都市圏の人口増加をみていると、2000年までは福岡市内より周辺都市圏の増加が著しく、いわゆるドーナツ化現象の傾向を示していた。また、福岡市内での人口増加は相対的に分散化傾向にあった。しかし、2000年以降、福岡市の人口増加率が、都市圏地域の伸びを上回り、しかも都心部に人口が集中し始める。85年からバブル期を挟む10年間で、都心の人口は13%減だったが、地価下落で都心に住むコストが下がり、「都心回帰」の傾向が生まれ、現在では85年当時を上回るまでに回復している。

交通網の充実と魅力的な集客施設の誕生

80年代末から福岡市の中心部には魅力的な集客施設の誕生が相次ぐ。それに呼応するかのように九州内の交通網が整備され、多くの人々が福岡の都心に訪れやすくなった。

ホークスの本拠地・福岡ドーム(現福岡ヤフードーム)をはじめ福岡シティ劇場や博多座などの常設劇場などが登場し、90年代に広域からの集客を可能とする娯楽機能を高めた。

商業施設についても80年代末のソラリアプラザやイムズの開業を皮切りに、90年代になると岩田屋Zサイド(現岩田屋本館)、キャナルシティ博多、博多大丸エルガーラ、福岡三越、博多リバレイン(イニミニマニモ)、ソラリアステージなどが相次いてオープンして賑わいをみせた。

一方、九州内の交通ネットワーク網についても80年代後半から大幅に充実してきた。87年の国鉄分割民営化により、九州旅客鉄道(JR九州)が誕生。JR九州の登場で福岡を中心にした特急ネットワークが大幅に充実した。たとえば、分割民営化前の国鉄時代、博多駅を起点とした特急列車の運行本数は1日あたり52本だったが、2004年時点では118本と倍以上に増えている。

また、九州内における高速道路も縦貫道と横断道が結合した九州クロスハイウェイが96年に完成。その3年後の99年には福岡都市高速道路と九州自動車道が直結し、福岡市の都心部と九州内の主要都市を結ぶ高速道路ネットワークができあがった。

高速道路ネットワークの充実は、高速バスの利便性も向上させた。事実、87年時点で19路線だった福岡発着の高速バス路線は、2003年時点で33路線に増えている。また、輸送人員面でも、同じく318万人から500万人余り増えて、168パーセント増の852万人となっている。

このような都心の都市機能が多様化・充実し、福岡の吸引力を高める好循環を生み出し、交通ネットワークが充実した結果、九州内外からの1500万人マーケットと称される経済圏が誕生したといえる。

空・海で強まるアジアとのつながり

「日本で最も便利な空港」と評されることが多い福岡空港は、93年の福岡市営地下鉄による福岡空港乗り入れで都心部と直結し、天神から11分、博多駅から5分でのアクセスが可能となった。あわせて、航空運賃の自由化やスカイマークエアラインズという新規航空会社の参入もあり、航空運賃は大幅に値下がり、福岡空港への路線の集中なども進み、福岡への空からの交通も充実してきた。

ビートル

国際航空路線の充実も目立ち、90年代に入ると、アジアへ向けた福岡空港の国際路線がさらに充実した。福岡空港の国際路線は、90年には週間あたり14都市160 便だったが、2004年には同23都市327便へと大幅に拡大。中国を中心とした東アジアへ拡充がすすみ、90年代の旅客数は上昇基調を示していた。2000年以降は同時多発テロやSARSの影響から一時的な減少となったものの、その後は順調に回復している。

「新・福岡都心構想」策定にあたっての背景

空とともに海の方も大きく台頭してきた。90年に博多―釜山間のフェリー「かめりあ」が就航したのを皮切りに、翌年にはジェットホイル「ビートル」が同航路に就航した。現在では、博多―釜山間に3社が参入し、2004年の博多港外国航路旅客数は66万人にのぼり、隣国・韓国とを直接つなぐ海の道として確固たる地位を築いている。

空・海で海外と直結していくことで注目されるのは、外国人旅客の増加だ。福岡空港は90年の33万人から2003年には50万人に増えている。一方、博多港も90年の0・6万人から2004年には29万人へと大幅な増加ぶりを示す。アジアにおける経済成長と交流網の充実で、福岡と東アジアはますます近づきつつあり、“日帰り経済圏”を形成しつつあるともいえる。(近藤益弘)

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