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新幹線がもたらす地域新時代新幹線写真

長野新幹線にみる新幹線効果の「光」と「陰」

2008年3月29日発行の19号より

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長野オリンピックの開催に合わせて、開業した長野新幹線は昨年10月、開業10周年を迎えた。年間で約950万人が利用する長野新幹線が、地域社会や地元経済にもたらした「効果」と「影響」について見てみる。

《事例研究編》長野新幹線とは……

1998年2月に開催された長野オリンピックに先立ち、97年10月に長野市への交通アクセスとして長野新幹線が誕生した。長野新幹線自体は、東京から長野、金沢を経て京都・大阪方面へ向かって計画されている北陸新幹線の一部である。このうち、先行開業した路線が長野新幹線だ。

現在、東京〜長野間(222・4キロ)を長野新幹線「あさま」が最速1時間23分で結び、長野新幹線は年間で約950万人の利用者を運んでいる。もっとも、路線のうち、東京〜高崎間は上越新幹線の線路だ。このため、厳密な長野新幹線の路線は、高崎駅から分岐した高崎〜長野間の117・4キロとなる。しかし、一般的に長野新幹線「あさま」が走る東京〜長野間は、長野新幹線と呼ばれている。

長野新幹線「あさま」VS 九州新幹線「つばめ」

昨年10月に開業10周年を迎えた長野新幹線は、長野〜高崎間だけで在来線時代と比べて約4割多い1日あたり約2万6000人の乗客が利用している。

長野新幹線の特徴として、急勾配が続く難所・碓氷峠を擁する山岳路線という点が挙げられる。山岳地帯を走る長野新幹線「あさま」は、長距離の急勾配を時速210キロに維持して走る抑速回生ブレーキという特殊なブレーキを装着する。

最高速度は急勾配を走る九州新幹線「つばめ」と同じ時速260キロだ。また、長野新幹線の列車名「あさま」は、九州新幹線「つばめ」と同様に在来線時代の特急名を引き継ぐ。

長野新幹線「あさま」が属するE2系車両は2006年に中国鉄道部に採用されて、CRH2型「和諧号」の名称で中国大陸を疾走している。新幹線の海外進出は、九州新幹線「つばめ」の基本形となった700系車両をベースとする台湾高速鉄道700T型に続いて2件目だ。

新幹線で東京から日帰り圏となった長野県北部

長野新幹線が開業した結果、それまでの在来線で2時間39分かかっていた東京〜長野間が約半分の所要時間で済むようになった。このような大幅な時間短縮効果は、滞在先での滞在時間を大幅に延ばすだけでなく、ビジネスや観光のあり方も大きく変えつつある。

長野県企画部交通政策課の試算によると、東京から長野への移動に長野新幹線を利用することで、それまでの在来線特急を使用していた場合に比べて、日帰り時の滞在可能な時間は3時間31分伸びて、計13時間40分となった。


長野駅


長野駅前のロータリー広場

また、長野新幹線開業に合わせて、長野以北への交通アクセスも大幅に改善された。例えば、開業前の長野駅に到着する在来線特急と20分以内に接続する信越本線の豊野方面行き連絡列車は1日あたり13本しかなかった。しかし、開業後は34本へと大幅に増発された。

このように東京〜長野間を長野新幹線「あさま」が走ることで所要時間を半減させた時間短縮効果に加えて、長野新幹線との交通アクセスも改善され、長野県北部は東京から日帰りでの出張や観光が可能な地域となった。

長野新幹線開通後、長野市の事業所が減少

長野新幹線の開業を契機に長野県北部は東京からの日帰り交通圏となった。この結果、長野市内に支店や営業所を構えていた大手企業は拠点の閉鎖や縮小を進めた。事実、長野市のオフィス街を歩くと、ビルの空室が目立つ。

5年ごとに集計する事業所統計によると、長野市内の事業所数は、オリンピック開催の前年である1996年までは順調に右肩上がりで伸び、2万2219件にのぼった。しかし、01年には減少に転じて06年の調査結果では2万132件と、ピーク時より1割近く落ち込んでいる。

大幅な時間短縮効果をもたらす新幹線が開通すると、支店・営業所の維持コストと新幹線による出張コストを天秤に掛けられるようになる。そして、維持コストに比べて、出張コストの方が経済的であると判断された場合、支店・営業所は閉鎖もしくは縮小へ向かうケースが多い。

長野県全体の事業所数をみても、オリンピック前年の96年には13万3597件を記録したが、01年には減少に転じ、06年の調査では11万5380件と、ピーク時に比べて1割以上も減らしている。

新幹線ルートの変更がもたらした都市の盛衰

地域に様々な影響を与える新幹線において、長野新幹線では建設ルートでも紆余曲折があった。

当初は、難所となる碓氷峠がある高崎〜軽井沢間においてのみ新幹線フル規格の新線を建設し、軽井沢〜長野間については在来線を活用したミニ新幹線とする計画だった。


佐久平駅

しかし、長野オリンピック開催が決定したことで軽井沢〜長野間も新幹線フル規格の新線に格上げされた。このため、佐久市に新幹線駅が新設される。一方、在来特急の停車駅だった小諸市は、ミニ新幹線計画が消滅し、新幹線ルートから外れる結果となった。新幹線駅が新設された佐久市、在来線を引き継いだ第3セクターの駅となった小諸市との明暗を分ける結果になった。 

駅新設を契機に郊外開発が進む佐久市

新幹線駅を契機とした地域開発において、相次ぐ商業施設のオープンで商業集積に成功した数少ない事例が、佐久市であるといわれている。

佐久市は新幹線駅の新設決定を受けて、田園だった駅予定地周辺の60ヘクタールの区画整理事業に乗り出した。


駅前に集積する商業施設

駅周辺を整備した結果、駅前の幹線沿いにはイオン佐久平ショッピングセンターをはじめとする郊外タイプの大型商業施設が軒並みオープンした。これらの広大な駐車場を備えた大型商業施設には、佐久市内に留まらず、周辺の市町村からも大勢の買い物客が集まってきている。

かつて、佐久市、小諸市、北佐久郡、南佐久郡をエリアとする佐久地域の商業中心地は小諸市だった。1991年の小諸市における商業販売額は約2400億円にのぼった。


佐久市・小諸市の商業販売学と売り場面積の推移

しかし、その後は減少傾向を示し、04年にはピーク時の3分の1となる約800億円にまで減少してしまう。この間、ジャスコや東急百貨店も撤退、さらに駅前の相生町商店街も空き店舗が相次ぐ事態となる。

一方、買い物客は佐久平駅前の大型商業施設へ向かうようになり、佐久市が商業の中心地に取って代わったのだ。

開業後も人口増加が続く軽井沢人気の源泉

高級避暑地として広く知られる軽井沢町は、新幹線開通後も人口が増え続ける数少ない自治体のひとつだ。その人口増を下支えしているのは、軽井沢町への移住者だ。


軽井沢駅

長野新幹線の開業により、軽井沢〜東京間は約1時間で結ばれるようになった。このため、大手企業の管理職や大学教授らを中心に収入と時間に余裕がある人たちが軽井沢へ移り住み、東京方面へ通う人たちが増えている。さらにリタイアした団塊世代も定年後の住まいとして軽井沢を選び、引っ越して来るケースも増えているという。

これらの人気を呼んでいる要因としては、自然の豊かさに加えて、清涼な気候に恵まれた環境が挙げられる。さらに落ち着きのある高級リゾートという「軽井沢らしさ」というイメージが、人気に拍車をかけていることは間違い。

軽井沢らしさとマンション開発との相克

「軽井沢らしさ」を失いかねない―――都会などからの移住者の増加にともない、町内では大型マンション開発などの計画も持ち上がるようになった。


駅に隣接する大型ショッピングモール

このような大型開発は、軽井沢が長年築いてきた地域的なイメージを壊しかねないとの危機感を生じさせた。そこで、軽井沢町では、あらたに自然保護対策要綱を制定することで大型開発に歯止めを掛けた。この結果、地域の財産である軽井沢のブランド感を守り、軽井沢人気を維持する。事実、長野新幹線開業後も引き続き、人口は増加傾向にあり、この20年間で約14パーセント増えている。

軽井沢町は、佐久市と同様に長野新幹線の開業で、商業施設が集積したまちでもある。長野新幹線開業に合わせて、軽井沢駅南側のゴルフ場跡地が再開発されたのだ。

オープンした西武系の軽井沢・プリンスショッピングプラザは4回の増床を重ね、現在196店舗のアウトレットショップや飲食店が軒を連ねる。このモールは新幹線駅に隣接するだけでなく、上信越自動車道の碓氷軽井沢インターチェンジにも近く、敷地内に広大な駐車場を構えている。

軽井沢にみる新幹線効果の「光」と「陰」

軽井沢町には軽井沢駅と中軽井沢駅がある。軽井沢駅は、別荘地への来訪者や観光客らを対象とした玄関口となっている。これに対して、もともと軽井沢で居住していた人たちにとっては、中軽井沢駅周辺が生活圏の中心だった。

かつて在来線時代は、来訪者向けの軽井沢駅と、いわば生活者向けの中軽井沢駅は、ともに在来線特急が止まる駅だった。長野新幹線が開業すると、新幹線の軽井沢駅は、在来線駅の軽井沢駅に付設するかたちで開設し、駅周辺も整備・開発され、軽井沢駅周辺はにぎわいをみせた。

一方、並行在来線を引き継いだ第三セクター・しなの鉄道の駅となった中軽井沢駅の利用者は大幅に減少し、駅周辺には、シャッターの下りたままの店舗が増えた。店舗のなかには軽井沢駅周辺へ移転したところもあるという。同じ町内においてさえ、新幹線駅の開設にともない、栄えるところ、衰退するところが出てくる。新幹線への対応の仕方次第で、地域に「光」と「陰」が生じてくる可能性があるといえる。

減少する地域人口と新幹線との相関関係

5年に1度、全国的に実施されている国勢調査の結果によると、長野県の人口は2000年の221万人をピークに減少に転じた。しかし、長野新幹線の駅がある、長野市、上田市、佐久市、軽井沢町の4自治体の合計人口は、平成の大合併を考慮しても、依然として増加基調にある。

一方、国勢調査と同様に5年毎に実施される事業統計をもとに事業所数と従業員数に注目すると、違った面がみえてくる。長野県全体の事業所数・従業員数をみると、オリンピック開催を前にした96年がピークだった。以後、調査毎に落ち込み幅が悪くなっている。

国勢調査では、対象地域毎に住んでいる人数を調べるのに対して、事業所統計は該当地域の事業所数が対象となる。そして、事業所で働く従業員数は、所在地の市町村だけでなく、周辺地域から通って来ている人の数も含まれるため、地域経済をみる上でのバロメーターのひとつといえる。


上田駅

長野市における事業所数のピークは、先述の通り96年だった。しかし、同じ新幹線駅がある上田市、佐久市の事業所数は一足早く91年にピークを迎える。さらに従業員数について上田市は96年、佐久市でも01年がピークだった。さらに好調といわれている軽井沢町の事業所数および従業員数においても01年を境に減少へ転じているのが実情だ。

長野県では96年をピークに事業所数・従業員数がマイナスに転じ、さらに県人口も00年を境に減少傾向になる。その減少度合いは、新幹線駅4自治体の合計人口の減少が、他自治体の合計人口に比べて、落ち込み幅は少ない。 

地域に変化や影響を与える新幹線開業の意味

軽井沢町や佐久市は、新幹線駅を核としたまちづくりが成功したといわれている。しかし、実態は新幹線駅の開設を契機とした駅周辺の区画整理や再開発が始まり、結果として郊外型商業施設のオープンが相次いだ観がある。

ただし、新幹線に乗って、商業施設へ買い物に行く消費者は少数派だ。圧倒的多数の買い物客は、自動車を利用する。これらの商業施設は、いずれも大規模な駐車場を備え、週末になると近郊からの自動車で埋め尽くされる。

一方、長野市では支店・営業所の閉鎖・縮小に加えて、在来線時代は宿泊が必要な旅程だった東京からの出張者や旅行者が日帰り可能となったため、宿泊客が減ってホテルや旅館の淘汰が相次ぐ。また、在来線時代は白馬・大町方面への玄関口は松本市だったが、長野新幹線の開業後は長野市経由で向かう人が増えており、人の流れも変わりつつあるといえる。


長野県庁

「長野県の場合は、オリンピックに合わせるように、新幹線と高速道路の開通、空港のジェット化がされており、めずらしいケースではないか」(小林利弘・長野県企画部交通政策課課長補佐)という。長野以北への北陸新幹線の延線の効果と影響について、「現在、研究機関に調査を委託する予定だが、地域経済に与える効果としては、ヒトを運ぶ新幹線よりモノを運ぶ高速道路の方が大きいのではないか」(同)と分析している。(近藤益弘)

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※当ページの内容は、2008年3月29日発行の19号に掲載されたものです。

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